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どうしよう。

彼に惹かれ始めている自分に気がついた時、オレは咄嗟に自分の気持ちを嘘で塗り替えた。

 

[嘘をつく度に痛む]

 

きっかけは、彼が纏う鉄錆の臭いだった。
次元の魔女のところからモコナに吸い込まれて別の異世界へ飛んだ後、初めてその嫌な臭いが鼻についた時、思わず表情に出してぎょっとしたのを覚えている。
次元の魔女のところでは、雨がその臭いを隠していたのだろう。飛んだ先の乾いた空気に、彼が纏う鉄錆の臭いを抑える効果はなかったようだ。
鉄錆の臭いが鼻についたのは、怪我をしていると思ったからではない。彼の容貌から滲み出る獰猛な気配からは、彼が簡単に傷を負わされるような人間には見えなかった。
だから、その鉄錆の臭いは誰かの返り血なのだろうと迷いなく理解した。
纏う布地だけではなく、身体に染み付いてしまった鉄錆の臭い。染み付く程『誰か』もしくは『何か』を切り裂いたのだろうか、彼は。多分、躊躇いなく。迷うこともなく。

(強い……んだろうなぁ、やっぱり)

今度は冷静にそう分析して、不機嫌そうに座っている彼をちらりと見た。
その横顔に、なぜかどきりとする。
魂まで食い尽くされそうな、凶暴な赤い瞳。それから、戦場を思わせる鉄錆の臭い。
微かに漂うその臭いに、またどきりとした。
彼からは死の臭いが漂っているのに、強烈な生の匂いがするという矛盾に、三度どきりとした。

だから、これがきっかけ。
オレが彼を意識したきっかけは、つまり鉄錆の臭いなのだ。
しかし、一緒に旅をすることになって数日経つと、その臭いに慣れてしまったのかそれとも血を被る機会がなくなってしまったからなのか、鉄錆の臭いは感じられなくなってしまった。
そしてオレはこの時感じた感覚を、しばらく忘れた。

 

それから数日一緒にいるようになって気がついたことが、彼は誰にも興味がないのだと装っていながら、実はしっかり人を見ているのだということだ。
それは、倒すべき相手の実力を見誤ってはならない、という『忍者(実はどんな職業なのかよくわからない)』特有の技術の副産物なのか、それとも彼自身の優しさなのか。どちらが良いかといえば、オレは後者であれば良いと思う。
なぜなら、彼は『自分には関係ない』という口癖をいうことによって、必要以上に他人……つまりオレに干渉しないからだ。それは本当に助かる。
聞かれたくないことを言えと強要しない彼に、オレはいつも救われている……のだと思う。

(……他人に関心を持てないのはオレの方だ)

違う。関心を持てないのではなくて、持ってはいけない。
他人に構っている余裕は、ない。
逃げ続けなければならない逃亡者であるオレは、幸せを得るために留まってはならない。
あの人から、逃げ続けなければならない。
今も冷たい湖の水底で眠る王を、忘れたことはない。
自分が、水底に沈めた。
しかし、あれしか方法がなかった。
それでも、ああすることを選んだのは自分だ。

(意志の、強い目。……強いひとには弱いんだよなぁ)

完璧に隠したと思った動揺の全ては、彼にことごとく見抜かれている。
見抜いていて、彼は深く突っ込んでこないから、どうしようもなく弱ってしまう。
彼のその行動を、好意的に解釈して好意的に勘違いしそうになる自分に、それはありえないと言い聞かせて何度やり過ごしただろうか。
自分のことは聞かれたくない。けれども、見抜いて欲しいと思う矛盾。
そして、その理想にほぼ近い彼。
それでも、オレは自分のことは話せない。
知られたくない、嫌われたくないから。

だから、困る。

(……どうしよう)

これ以上、彼に引き摺られてしまうわけにはいかない。
あの強い目が、自分の全てを引きずり出してしまう前に手を打たなければ。
しかし忘れていた感覚が、彼と過ごす日々と比例して元より大きく膨らんでいく。
どくん、と心臓が脈打ち、酷く痛い。
痛い。
だから、オレは自分の感情を深く沈めて、嘘をつくことにした。

(大丈夫。嘘をつくのは慣れているから)

そして嘘が嫌いな彼に、オレはまた嫌われるのだろう。
そう思って、オレはどうしようもなく途方に暮れた。

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