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ディストアレンジ:17
 

 最上階からの眺めは、悪くないという曖昧な感想を浮かべた男は、先程から走らせていたペンをコトリと置いた。

「……いい加減、ペーパーレスになって欲しいんだがな。まぁ、今の技術力では当分先、か」

  男は座っていた革張りの豪華な椅子をくるりと回転し、今まで背を向けていた全面ガラス張りの窓へ身体を向ける。
  ブラインドもカーテンも一切されていないそのガラスは、外側からは室内が見えない様になっている。
外から内が見えないのならば、と男はその部屋の窓に一切の目隠しをしていない。
  もっとも、今この世界で最も高いビルの最上階に位置する部屋を、外から覗くなど到底無理なのだ。
  飛行技術が一切発展していないこの世界は、外から襲われるという心配はなく、万が一侵入者があったとしてもその経路は限られていて、根性でビルを這い上がってくるか、屋上より下がってくるかという危険な方法を取る以外、外からこの部屋に侵入する術は無い。
  男は、空よりももっと高い虚空を見上げて、溜息を漏らした。

「……ここは空気が悪い」

  確かにこの世界は空気が常に淀んでいる。定期的に吹く風はあるが、それでも世界に溜まってしまった淀みを吹き飛ばすことはできないでいた。
  この世界には、果てがある。
  大して広くも無いこの『世界』には『果て』が存在する。
  この『世界』の形は綺麗な円形をしていて、『世界』の周囲には鋼鉄の壁が立っていた。
  それについて、この『世界』の住人は誰一人としてそれを疑問には思わなかったし、鋼鉄の壁、すなわち『果て』を破ってまで『世界の外側』に出ようとした人間もいない。

「地の底だな、ここは……」

  地の底のような淀んだ世界で、人々は皆、ただ必死に生きているだけだった。
  男はそれを哀れむでもなく、否定するでも嫌悪するでもなく、ただ無表情に虚空を見続けた。
  ……と、男が虚空を見続けてしばらく経った頃、ガチャリとドアノブが回る音が響いて一人の小柄な男が部屋に入ってきた。

「……真門」

  男――真門(マカド)と呼ばれた男は振り返って、今部屋に入ってきた小柄な男に向き直った。
  開かれた小さな簡易的なドアから漏れる光が、真門をぼんやりと照らした。肩に羽織った上着はターイナ軍の指揮官クラスが着用するもので、その襟元の徽章は、ターイナ軍で最も位が高い『XXX』の印が刻印されている。

「二陵サマ、……おはようございます。身体は痛みませんか」
「問題ない、大丈夫だ。……ねぇ、真門、いつまでアレのお守りをするつもり?」

  二稜(ニリョウ)と呼ばれた小柄な男は、白いシャツを適当に着ただけの姿で、よたよたとおぼつかない足取りで真門の傍に寄った。
膝が震える二陵を、真門がそっと腕を差し伸べて支える。その動作が、あまりにも自然で当然のことだというように、二稜はその腕に体重を預けた。

「こんな『仕事』、早く済ませて《塔》に戻ろう……。下界は空気が悪くて仕方がない」
「そうですね。でも、もうすぐですよ。もうすぐアレが全てをリセットしてくれる」
「……それにしても、なぜアレに人間らしさが必要なのだ」

  二陵は、『アレ』の姿を思い出して不満そうにそういった。
  そんな二陵の様子に、真門は苦笑を漏らしながら口元を三日月の形に歪めて言った。

「それはね、人間という生き物が、この世の中で最も残酷だからですよ」
「その残酷さを学ばせるために、人間らしさが必要だったのか」
「はい。残酷さや絶望、失意……。そんな複雑な感情を持ち合わせているのは、人間くらいです。
  これを知らなければ、『アレ』は単なる破壊者でしかなくなる。それでは困る。
  そして、残酷な『人間』に恐怖や絶望を与えることができるのは、人間くらいですから」
「そのために、『アレ』に絶望をを与えたのか。それも、自らの手でその絶望を生み出すという形で。……趣味が悪いな、真門」
「そうですか? でも、その俺を傍に置いているのは、何処の誰です? 二陵サマ」
「……決まっている、僕だ。そういうところを、気に入っているのだから直すなよ」
「知っています。だから、直しませんよ」

  そういって、二人は顔を見合わせることなくニヤリと笑った。

 

 
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