|
重圧な鉄扉から最も遠く離れたヴァルターは、今まで高めてきた集中力を更に高め始めた。
ヴァルターが扉から離れたのは、『いつもの手筈』を整えるためだった。ヴァルターとディアの二人は、必ずディアが先に敵と接触し、ディアの能力である『結界』を張り巡らせ標的を縛り、その結界の中にヴァルターの能力である『剣槍』を打ち込むのだ。
このヴァルターの『剣槍』は、途方も無い集中力と時間を要する。故に、その一撃は凄まじいものがあるがその攻撃をより効果的に確実に当てるために、初めは盾となるディアが必ず前線に立つこととなる。
ディアの実力を信じていないわけではないが、最愛の人を前線に置き、自分は後方でじれったい力を溜めなければならないのは、正直辛い。
しかしこの方法が、今まで戦ってきた中で最も効率がよく、負傷率も低かったのだ。
『……っ、……早く、はやく……』
焦る気持ちがヴァルターの集中力を削ごうとする。どんな『狩り』の時でも、例え楽に狩れるような標的だとしても、ヴァルターはこのじれったい瞬間だけは心底胸が冷えて仕方が無かった。
扉の向こうの部屋では、ディアが魔族・ユノスと対峙しているのだ。早く、早く『剣槍』を打ち込まなければ。
かざした両手の先に淡く光る魔方陣が浮かび、その中心に標的の姿が映る。ようやく準備が整った。
『……っし、……これで、……!』
言葉と共に力を放出し、魔方陣に浮かんだ標的目掛けてありったけの力と、思念と、それらが実体化した『剣槍』を打ち込む……はずだった。
『……な、んだ!?』
突然、塔が轟音を立てた。天井からはばらばらと石の欠片と埃が容赦なく降ってくる。
二度目の轟音。今度は地下に居るというのに塔が揺れたのがわかった。
三度目の轟音で、ヴァルターはようやく思考するということを思い出し頭をフル回転させた。考えられることといえば、いくつかしかない。
稀にあるのだ、こういうことが。
目の前にある未知数の『敵』を、居ても立っても居られなくなり組織が責任を持って『狩り』をすると契約していても、先走って愚かな行動にとる輩が。
今回もその類だろう。その証拠に、物理的な攻撃力と物理的な作戦でこの塔とともに『魔の一族』を葬ろうというのだから。仮にこの攻撃が組織のお節介な援軍のものだとしたら、こうはなりえない。
下位級の魔族ならば物理的な攻撃力に物を言わせて屠ることはできるが、上位級の魔族にはそれは効かない。そして今回の標的となる魔族は、上位級の魔族だ。
『……くそっ、何考えてるんだ……! 俺達ごと消すつもりなのか!?』
やり場の無い怒りを持て余し、ヴァルターは天を仰いでそう叫んだ。
それからヴァルターは、きっと眉をつり上げて空を睨むと今回の標的と共にいるディアの下へと駆け出した。
『……ディア! ディア!』
その時、四度目の轟音が塔の内壁をがらがらと崩し始めた。
これではもう、『狩り』どころではない。
『ディア! 退くぞ! ……ディア!』
内室にいるディアにそう叫ぶ。
一歩、前に踏み出した時、ディアが振り返ってこちらを見た。
その顔に、微笑が浮かんでいる。
けれども、その眼からは涙が一筋流れていた。
『ヴァル、ヴァルター。……ごめん』
『ディア!?』
叫んだ瞬間、目の前で鉄扉がばたんと閉まった。
恐らく、ディアの仕業だろう。『結界』の力を使うことができるディアは、このような扉や門などに干渉して開けたり閉じたりすることができるのだ。
『ディア、ディア!? 開けろ、ディア!』
ヴァルターは、決して開かない鉄扉に体当たりをしながら何度もディアの名前を呼んだ。
『ディア、ディア! 開けるんだ、ディア!』
『……ごめん、……早く、逃げて。……支えていられるうちに……』
『ディア、ディア!』
ヴァルターの手が、血を流し、そして何度も叫んでいるために声も掠れ始めてきた。それでもヴァルターは鉄扉の前から動く気配を見せなかった。
何度も扉を叩き、何度もディアの名前を叫び、そして、崩れ落ちてくる内壁を避けた。
きっとこの塔は建っているのがやっとなのだろう。それをディアが結界の力で支えているのだ。
それは全て、ヴァルターの為に。ヴァルターが逃げる時間を稼ぐために。
それを解っていても、ヴァルターはディアを諦めることができなかった。
『ディア! ……ディ、ア……』
『ヴァルター、か? そこに居るのはヴァルターなんだな!?』
『……レクス? レクスか?』
『馬鹿者共が先走りやがった! 作戦は中止だ、ここから出るぞ。……って、ディアはどうした?』
息を切らして階段を駆け下りてきたのだろう、レクスはぜいぜいと肩で息をしながらヴァルターの元へと駆けてきた。
レクスは組織の仲間で、ヴァルターよりも少し背が高く、流れるような艶のある金髪を首の後ろで一つに結んでいる。いつも髪を自慢しているのだが、その自慢の髪も埃と砂利に塗れてぼろぼろだった。
ヴァルターはこの状況下で見る仲間の顔に、幾らか安堵の溜息を漏らしたが、レクスの最後の言葉に、はっと息を詰めて泣き出しそうなくらい表情を歪めてレクスを見上げた。
『それが……!』
『そこにいるのは、レクス?』
……と、鉄扉の向こうからディアの声が聞こえた。分厚い扉が内側の声を通すはずがなかったが、恐らくこれもディアの力の一部なのだろう。
呼びかけられたレクスは鉄扉に駆け寄り、ヴァルターの隣に並ぶ。
『そうだ。ディア、作戦は中止だ、退くぞ!』
『駄目。僕がここから動いたら、皆瓦礫の下敷きになる』
『ディア、そんなことは何とかなる! だから……』
『レクス! ……ヴァルを、ヴァルターをお願い』
『ディア!』
自分を置いて退けというディアに、ヴァルターは再び泣きそうなくらい顔を歪ませて鉄扉に縋りついた。
ディアに『ヴァルターを頼む』と言われたレクスは、そんなことを言うディアを非難するかのように短くディアの名前を叫んだ。
しかし、閉ざされた扉の向こうから響いてきたのは冷静なディアの声だった。そしてそれはレクスの迷いに揺れた心を串刺しにした。
『レクス、約束を違える気?』
『! ……くそっ、いいか、死ぬんじゃないぞ! 必ず助けに来るからな!』
『……ありがとう。さぁ、早く行って!』
『ディア、ディア! ……レクス、離せ!』
『いいから退くぞ! ヴァルター、少しはディアの気持ちも考えろ!』
『嫌だ、ディア、ディア!』
未だ扉に縋りついて離れようとしないヴァルターを、レクスはどうにかこうにかして引き剥がすと、どうにも一人では歩けそうにないヴァルターを肩に担ぎ、下ってきた階段を駆け上がり始めた。
担がれたヴァルターは、レクスの背中をこれでもかという位拳で殴りつけ降ろせと訴えたが、レクスは地上に上がり安全が確保された場所に出るまで決してヴァルターを降ろしはしなかった。
そして、塔の地下にある扉の向こうでは、ディアがほっとしたように息を漏らした。
この塔にかけた結界によって、ヴァルターとレクスが無事に脱出したことを知っての安堵の息だった。
『……ヴァルター、ごめん。……ごめんね、……兄さん……』
そして、閉ざされた鉄扉の向こうで微かな呟きが静かに漏れ、数秒後、塔が完全に崩れ落ちる音に全てが埋もれた。
この別れから、ヴァルターが次にディアの姿を見るまでに、3年を要することとなる。
|
|
|