「どーもっ、本日付でアンタの隊に就く事になったクラスS、X2のザイだ。よろしく」
そう言って俺は、広いデスクに座って無表情に俺を見上げている英雄に、机越しに左手を差し出した。
英雄は、間近で見るととても同じ性別だとは思えない程顔立ちが整っていた。なるほど、これで軍の中で最も強いというのだから、ターイナ社に『英雄』として祭り上げられるのは理解できる。
いや、『英雄』というよりも言うことをよく聴く『玩具』か。
そう思って、俺はデスクの向こうに座って俺を見つめている英雄クオンをじっと観察した。
差し出した左手は、差し出したままの形で宙に止まっている。
俺は本来右利きでクオンも右利きだったが、剣を振るう者として利き手を差し出すということは、余程のことがない限りしない。
俺はそんなことはお構いなしにいつも振舞ってきたから、思わず右手が出そうになったのを、クオンを見て思い留まり左手を差し出したのだ。
仮にも俺の上司。そして軍の実働部隊の中で最も強い男。敬意を払って然るべきだ。いや、敬意を払うなら利き手を差し出すべきだったっけ?
そもそも、軽口を叩いて置きながら敬意も何もあったものではないだろうが。
「……ああ、よろしく」
しばしの間の後、英雄はそう短く答え、先程と変わらない無表情で俺を見上げた。
差し出した俺の左手は未だ握られることがない。
「クオン?」
もしかして、初っ端から嫌われたのか。
それとも調子に乗りすぎたか。
一向に握り返されない左手を、それでも粘って差し出し続けていると、英雄はようやく俺の差し出した左手をぎこちなく握ってくれた。
それは到底、握手と呼べる程しっかりしたものではなく、ただ握り返しただけのように思えた。何よりも、クオンの戸惑って揺れる目が、以外だった。
握手は無事果たされたが、クオンの、渋々というよりもどうすればいいのか解らなかった、という様子に俺は妙な親近感を抱いた。
……面白い奴。案外、愉快な奴かも。
世間一般で流れている英雄像は、常に冷静で無駄口を吐かない孤高の戦神。孤独の中に身を置き俗物的なものとは一切交わらない、という人間離れしたものだ。つまり、夢を見すぎている神話のような人物像だ。
実際、英雄の戦闘能力は人間離れしているらしいが、戦闘能力を除けば所詮人間。人々の集団から英雄が遠ざかっているのではない。人々が英雄から距離を置いているだけだ。
だから、今のクオンの何気ない人間臭い部分を目の当たりにして、俺はもっとコイツのことが知りたいと猛烈に思ってしまった。
誰も知らない英雄の素顔。それを知るということは、俺の自己満足を強烈に刺激する。
「これからよろしくな、クオン」
「……ああ」
そう言って俺は上機嫌ににっこり笑い、未だ握られたままだったクオンの手を、ぎゅっと握り返した。
氷の仮面を被っているという美貌の英雄は、僅かに目元を細めて微笑んだ、ように見えたのは俺の錯覚ではないと思いたい。
クオンの隊に配属されて数日後。まだ現場からお呼びが掛かることがなく、俺は退屈な日々を訓練とクオンの観察及び接触をローテーションしながら過ごしていた。
そんな日の午後。俺は昼食を取るべく食堂に向かっていた。廊下は同じ目的を持ったのだろう同僚達で賑わっていた。
「よぉ、ザイ。英雄殿の隊に配属されたんだって?」
「ああ、ブフル。……知ってたのか」
「あんだけデカく掲示板に晒されてりゃ、誰でも気がつくだろ」
「それもそうか」
俺に声を掛けてきたのは俺が以前いた隊の同僚で、名をブフルという。クラスは確かBだったはず。ここ最近は伸び悩み、昇進できないでいるせいか万年クラスBとからかわれていた。
軽口を叩きあいふざけている分にはいい仲間だが、それ以外はそうでもない、というのが俺のブフルに対する評価だ。……もちろん、それは心の中だけでの話で、表面的にはそれを出すことはしない。それが大人の付き合いというものだと、数年前に割り切った。
「にしても、楽になるな。まぁ、今までの隊が激務続きだったんだ、休養だと思ってやりゃあいいんじゃねぇの?」
「……は?」
一体何を言いたいのか、ブフルは煙草の脂で黄ばんだ歯を剥き出しにして下品に笑った。お陰でその笑い声も黄ばんでいるように思えてしまった。
どういうことだ? 何が楽になるっていうんだ?
意味が解らず俺は眉を顰めて、はっきり言えと無言で示した。
「おいおいおいおい、まさか噂を知らねぇのかよ!」
「何のことだ?」
「あちゃー、もしかして英雄の隊に配属になったから、これからバリバリ働こうとか思ってたのかよ」
「そうだ。……なんだよ、何かあんのかよ」
「ははは、そりゃ無理な話だ。だって、そうだろ? あの英雄様の隊なんだぜ? 『その一振りは百の敵を薙ぎ倒し』って、唄にもあんだろが。前線の仕事なんてねぇし、後方の仕事もねぇよ。つーか、おっかなくて誰も作戦には同行しねぇんだぜ、知らなかったのか?」
ブフルは、そう言うとまたあの黄ばんだような下品な声で笑った。
「なんだよ、それは……。単に怠けてるだけだろ……」
「おいおい、いい子ちゃんぶっても損するだけだぜ? 英雄様の剣の錆になりてぇのかよ」
「…………」
何が面白いのか蝦蟇蛙のような不愉快な笑い声を立てているブフルの後ろを、タイミング悪くクオンが通りかかった。ブフルは笑うのに夢中でそれに気がつかない。
絶対に今の話が聞こえているはずだというのに、クオンはそ知らぬ顔で通り過ぎようとしている。恐らく、クオンにとってはこんな噂話は気にも留めない日常茶飯事の一つなのだろう。
そう思ったら、急に腹が立ってきて、胸がムカムカしてきた。
「……ああ、クオン! 今から飯か? 一緒に行こうぜ」
「……ぃ!?」
わざと大声でクオンを呼び止めると、俺はブフルを無視してクオンに近寄っていった。
ブフルは、驚いて小さな目をこれでもかという程見開き、しかし振り返ってクオンを見ることはしなかった。その脂ぎった顔からは、ぽつぽつと汗が噴出してくるのが見える。
その驚き様を見て、少し気分が晴れた俺は、口元に何とか笑みを浮かべることができた。
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