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ディストアレンジ:13
 

 そして現在。

 空白の数日間に、クオンの身に何があったのかはわからない。
 わかるのは、クオンがもうクオンではなくなってしまったということと、その『クオン』を俺は殺さなければならないということだ。

  クオンを殺す。

  いつの日だったかに同意してしまった約束が、今俺をアイツの前に立たせている。

  クオンを、殺す。

  しかしあの日と同じく、俺がクオンを殺す場面を思い描くことなどできないままだ。
 本当に、殺さなければならないのか。
 迷ったら死ぬと解っていても、そんな考えが頭から離れることがない。

「……クオン、何故……」
「何故、こんなことを? 典型的な質問だな」
「クオンっ!」
「そう怒鳴るな、見苦しい。私が、親切丁寧に事細かく説明しなければならない理由はなんだ」
「………っ、それでもっ、何故、何故、仲間を殺した!」
「……『仲間』? 私の言葉など、真に理解できないような愚か者達。恐れをなしてひれ伏す者達。憧憬以上の理想を押し付けようとする者達。それの、どこが『仲間』なんだ?」
「………それなら、俺、は」
「お前? お前は特別だ。だから今、こうして息をしていられるんじゃないか。それに、今回のことは許可を得ている。いらないものを消して、何が悪い」
「……何様のつもりだ、そんなこと」
「一つ、私について教えてやろう。私は『ヒトであり、ヒトを超えるもの』。この世界の『神々』によって造られたモノだ」
「……アンタは、……いや、お前は俺の知っているクオンじゃない……」
「お前の知っているクオン? そんなものは始めからどこにもいない。お前は私の何を知っているというんだ」
「……正気か?」
「残念ながら私は正気だよ、ザイ。ただ、目覚めただけだ。私は私の役割を果たす」

  それきり、何かのスイッチが入ったかのようにクオンは口を閉じた。
  結局俺は、クオンが何を抱えているのか、抱えていたのか、そして、何のために自分がここに居るのか、わからずじまいだ。
  俺はクオンの何を見ていたのだろうか。本当に、何一つ理解し得なかったのだろうか。
  微かでも浮かぶようになった表情や感情の揺らぎは、幻だったのか。
  不器用でも、少しずつ人間らしく変わっていったあの時間は、クオンにとってはなかったことになっているのか。
  そして、一体何がクオンを変貌させてしまったというのか。

「……くそっ、どうしようもないのか?」

  俺の問いかけにも、もうクオンは反応すらしない。
  張り付いたような嘲笑が、先程から1ミリも変わらず浮かんでいた。

「くっそ!」

  どうしようもないやるせなさと、苦々しい悔しさを抱えて、それを叩き斬る思いでクオンに突っ込む。
  自分の身長程もある両手剣(トゥーハンドソード)を振りかざし斬りかかり、弾かれて、一旦後ろに飛び退く。
  しなやかな細身の刀が、俺を追っていく方向からも襲い来る。その斬撃を幾本かはギリギリでかわし、幾本かは剣で弾く。防ぎきれなかった幾本かは、俺の服と肌に傷を残した。
  本当に、俺はクオンを殺さなければならないのか。
  こうなる前のクオンの望みは、確かにそれだった。

「クオン! 目を覚ませ!」

  ……ああ、でも『目覚めた』んだっけか?
  そんなことを思う余裕などありはしなかったが、俺は胸の中でうっかり突っ込んだ。
  そのツケか、それとも俺の迷いが、クオンの鋭い一振りを弾き損ねた。

「……っぐ……」

  真正面からの衝撃が、俺を吹き飛ばす前に、クオンの左手に捕まった。
  胸倉を掴まれて、ぎりぎりと音でも立てそうな勢いで持ち上げられる。

  息が、苦しい。

  クオンのどす黒く染まった左手が、俺の鮮血で上塗りされている。

  ガランっ、と金属がコンクリートに当たった鈍い音が耳に届いた。

  目の端に、象牙色の幾筋もの光。

「さようなら、ザイ。これでお前は私だけのものだ」

  コツコツと響く足音。

  一瞬、『風』が吹いたような気配。

  霞む視界。

  自分の呼吸音が、煩い。

「さようなら、だ」

  一瞬の、開放感。


  空気が肺に流れ込んでくるのを喜ぶ余裕はない。



  次の瞬間の、浮遊感。



  無重力に身体が泳ぐ。



  そして、急激に襲い来る落下感。



  重力に従って、身体は落ちる。



  最後に見た光景は、クオンの、冷笑を浮かべた、口元。



  それから、高層ビルの窓ガラスに映った、落ちゆく俺の姿、だった。