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ディストアレンジ:14
 

 一枚の報告書が、ひらりと机の端から落ちた。
  黒い髪に黒い瞳、実用的な筋肉が乗った身体はすらりと高く、笑顔が映えた写真が一枚添付された、その書類に記されていたのは、一人の男の情報だった。
  びっしりと細かく記された書類の、左上にはその男の名前が書かれている。

  名は、ザイ、とあった。

  下段の備考欄には、ザイという男がターイナ軍の現最高指揮官である英雄の片腕であった男だと、目立つように赤字で記されている。そして、右下には控えめに、要捜索の文字。
  しかし英雄の片腕だった男は、現在行方不明で生死の確認が取れていない。
  ターイナ軍の中では、その男はもう死んでいるだろうというのが通説である。
  床に落ちた薄っぺらい書類を、白く長い指が拾い上げた。
  長い指の持ち主は、象牙色の髪は肩につくか付かないかというところで切り、氷のように冷たい双眸を持っていた。そして、バランスの取れた美しい美貌が、その冷たさをより引き立てている。

「……懐かしい、名だ」

  拾い上げた書類を蛍光灯にかざし、眺める。その口元には薄い笑みが浮かんでいた。
  2秒も立たないうちに、その男は先程拾い上げた書類を空中に放り出した。
  ひらり、ひらりと紙が舞う。
  その舞いが終わらない内に、男は腰に下げていた細い刀で書類を切り裂いた。
  細かく裁断された紙は、より一層ひらり、ひらりと空中を舞い踊る。
  薄い金属音をわざと立てながら男は抜いた刀を鞘に納め、そして舞い散る紙片の全てが床に落ちるまで見続けた。

「……要捜索などと……無駄なことを」
「無駄、ではないだろう。少なくとも、その報告書を作成した人間にとっては、な。少なくとも、それが仕事で、報酬を得ているのだからな」
「私には、価値がない。……結果を知っているのだから」
「確かに! あの男は、お前が殺した。俺の命令によって、な」
「…………。」
「お前は本当によくできた我々の『子供』だ」

  そう言って、象牙色の髪を持つ美貌の青年に声を掛けた男は喉を震わせて笑った。
  皺のない丁寧にプレスされた軍服は、しかし着崩されて首元はだらしなく開かれている。短く刈られた黒髪は、かろうじて整えられてはいるが微かに乱れていた。その男の襟元におまけのように付けられている徽章にはは、ターイナ軍で最も位が高い『XXX』の印が刻印されている。
  その印こそ、最高司令官の証。
  男は、最高司令官の顔ではなく、何処にでも居そうな人の悪そうな笑みを浮かべて美貌の青年の短い髪に手を伸ばした。
  しかしその手はあっさりと弾かれる。
  美貌の青年の凍りついたような顔には、僅かに怒りの表情が浮かんでいた。

「気安く触るな」
「これは失敬、そう怒るな。……それにしても、……そんなにアイツが大事だったのか? そんな風に、真似てしまうくらいに?」
「…………。」
「失ったものを模倣することによって補う代償行為、か? 髪だけじゃないな。服装もアイツの様だ」
「………。」
「だんまりか。まぁ、いい。どうでもいいことだ。役割を果たしてくれさえいれば、な」
「……。」
「いいか、忘れるな。我々こそが、神、だ。そしてお前は我々に従うべきモノ。それを忘れなければいい」

  男は、最高司令官の顔でも、どこにでもいそうな人間の顔でもなく、冷酷な支配者の顔でそう宣言した。
  美貌の青年は、男の表情の変化には関心がないかのように全くの無表情で、その言葉に頷いた。
  それを見て男は僅かに口元を吊り上げて笑い、ふっ、と息を吐く。この青年が『アイツ』のこと以外では全くの無表情だというのはずっと変わらないことだったが、いつ見ても滑稽で笑えるのだ。

「さぁ、役割を果たしに行け、久遠」

  男は笑いながら美貌の青年にそう告げた。今度は、最高司令官の顔をして。
  久遠、と呼ばれたその男は、無表情のまま身を翻し戦場へと向かう。
  その顔は、確かに『英雄クオン』と呼ばれる男のものだった。